小町公園 小野小町ゆかりの地〜五十河の里
平安時代初期の女流歌人で絶世の美女と言われた「小野小町」が晩年を過ごしたとされ、その墓が残る五十河の里には「小町公園」と「小町の舎」があります。
五十河に残る「小野小町」にまつわる話では、小町が晩年、京の都から天橋立への旅の途中、同じ宿場に居合わせた上田甚兵衛と旅を共にすることとなり、五十河に帰る途中だった甚兵衛の勧めで、小町は旅の疲れを癒すため、五十河の甚兵衛の家に泊めてもらう事になりました。
その昔、「五十河」は「五十日」村と言い、昔から火事や難産が多く困っている事を小町に相談すると、五十日の「日」は「火」に通ずるので「五十川」(現在は五十河)と書くようにしたら良いでしょうと答えました。五十川に変えると、村は火事から救われるようになり、難産も無くなったそうです。
しばらくの滞在で疲れも癒えた小町は天橋立へ向けて出発しました。ところが途中の長尾坂という辺りで、突然の腹痛に見舞われてしまいました。甚兵衛は小町を背負って五十河へ帰りました。甚兵衛は八方手を尽くしましたがどうすることも出来ず、とうとう看病の甲斐も無く小町はこの世を去ってしまいました。
小野小町がこの世を去る時よんだとされる句が残されています。
九重の 花の都に住みはせで
はかなや我は 三重にかくるる
小町公園の中核には、平安時代の貴族の住宅であった寝殿造り風の「小町の舎」があります。
園内には四季折々の花が咲き、ゆったりと散策を楽しむ事ができます。
「小町の舎」の中央、エントランスホールには黄金色の小町像があります。その横の資料室には「妙性寺縁起物語」を場面毎に作ったジオラマなどが展示されています。
展示室のみ有料 : 大人200円 小中学生100円 水曜休館
お問い合わせ・最新情報は、0772−64−5533
小野小町の墓
小町塚 高さ152センチの石碑には「小野妙性大師」と刻まれており、五十河の妙性寺にある「妙性寺縁起」によると文化年間頃には存在している古いものです。
小野小町と雛人形〜天橋立・股のぞき発祥の地
蕎麦処「歌仙」
「小町公園」に隣接してあるお食事処「歌仙」は、五十河産のブランド米を使った食事を提供するほか、米、野菜、漬物などの加工品も販売しています。
現在 日曜日の10時から15時まで営業。
お問い合わせは、0772−68−0871