天橋立観光スポット 名所、名物、史跡、景勝地をご案内
天橋立の南側山頂には「天橋立ビューランド」があり、ここからは 龍が天に立ち昇るように見える「飛龍観」の素晴らしい眺めを見る事ができます。
山頂遊園地には、サイクルカー、ミニSL弁慶号、観覧車などがあり、お子様連れに人気のスポットです。
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天橋立の北側山頂には「傘松公園」があり、ここからの眺めは龍が天に昇って行くように見える事から「昇龍観」と呼ばれます。また、空と海が逆さに見える、名物「股のぞき」の地としても有名です。
園内には床面が一部強化ガラスになったシースルーデッキやレストラン、カフェなどがあります。
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「三人寄れば文殊の知恵」でよく知られる智恩寺は、智恵を授ける菩薩として、学業 成就を願う人々が全国より参杯に訪れます。
智恩寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、「九世戸の文殊」、「智恵の文殊」とも呼ばれています。
智恩寺の一角にある、黄金閣を正面に宝形造りの銅板葺き屋根のお堂を文殊堂といい、ここが天橋立智恩寺の本堂であり、文殊菩薩像が祀られています。
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文殊堂の山門前に伸びる参道沿いには土産店などが立並び、その中に古くからお参りの後に旅人が立ち寄ったとされる、智恵の餅を売る「4軒茶屋」があります。
四軒茶屋は山門を出てすぐ右から「吉野茶屋」「彦兵衛茶屋」「勘七茶屋」「ちとせ茶屋」の順に並んでいます。智恵の餅はその場で茶菓子として頂いても良いですし、木箱に入れてお土産用としても売られています。
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智恩寺の横には輪っかのような石灯籠があり、「知恵の輪」と呼ばれて観光名所になっています。
この輪には昔からの言い伝えで、3回くぐれば文殊菩薩の知恵を授かるとされていますが、とても大の大人がくぐれるとは思えません。仮に無理にくぐって石灯籠が倒れて怪我をしても大変です。
それではどうするかと言うと、 ・ ・ ・
あきらめて下さい。(ーー;) 大人の方は十分智恵が付いているので、これから知恵の付く子供さんを、お父さんお母さんがくぐらせてあげては如何でしょうか。
橋脚を中心に90度廻して船を通す、日本でも珍しい橋です。
阿蘇海と宮津湾を区切るように出来た天橋立には水路があり、船の往来が頻繁にあります。橋下を通れない大きな船を通す為に考え出されたのがこの廻旋橋です。
以前は人力で回していましたが、大型船の往来が多くなり、昭和35年に電動式となりました。1日に多い時は50回ほど橋が廻り、それが名物となり観光客の皆さんの絶好の写真やビデオスポットになっています。
日本の美しい風景として、江戸時代初期より、宮城県の「松島」、京都府の「天橋立」、広島県の「厳島」が語り継がれ、この3ヶ所が日本における最も代表的な景勝地として、「日本三景」と言われるようになりました。
天橋立の国定公園内にあるお食事処です。松林の中にとけ込み、物静かな雰囲気の中でお食事が楽しめます。
名物智恵だんごや宮津・天橋立名産の「黒ちくわ」、「あさり丼」が味わえます。また、目の前が大天橋海水浴場なので、シーズンには「かき氷」や食事のテイクアウトも出来ます。
日本の「白砂青松100選」にも選ばれた天橋立は、その名の通り白い砂浜と青い松林がとても美しく、多くの観光客が浜辺を散策します。
夏季は海水浴場となり、水のきれいな海と相まって多くの海水浴客で賑わいます。
岩見重太郎が父の仇を打つ前に試し切りをしたとされる石です。
また、案内板によると重太郎は天橋立で毎夜、通行人を襲っていた元伊勢籠神社の狛犬の足首を切り、その夜行を止めたという伝説も残されています。
講談などで有名な伝説上の剣豪「岩見重太郎」が父の仇討ちをしたと伝えられている場所です。
岩見重太郎は父の仇、広瀬軍蔵、鳴尾権三、大川八左衛門の三人を追って丹後の宮津に来ましたが、三人は重太郎を恐れて領主京極家に隠れていました。
そこで、京極家に乞うて仇討ちを許され、1632年9月20日天橋立の濃松において三人を討ち倒し、ついにその本望をとげたと伝えられています。
両側を海に挟まれた砂州の中にあって、殆ど塩分を含んでいないことから、古来から不思議な名水とされ、「日本の名水百選」にも選ばれています。
俳句にも「一口は げに千金の磯清水」と詠まれ、天橋立で遊ぶ人々に珍重されてきました。
俳人、画家として名高い与謝無村は、幼少期に与謝野町加悦の施薬寺に過ごし、宝暦4年(1754)から宝暦7年(1757)まで3年間、宮津の見性寺で創作活動を行っています。句碑に刻まれた「はし立や 松は月日の こぼれ種」は当時、天橋立に訪れた際詠んだ句とされます。蕪村は当地をこよなく愛し、当時の地名である与謝郡から与謝蕪村を名乗るようになりました。
橋立大明神本社 正面は豊受大神、向かって左は大川大明神、右は八大龍王(海神)である。
かつては、皇大神を祀り、いわゆる元伊勢を移したものとの説もあるが、これは附設であり、やはり文殊信仰が流行した平安末期から鎌倉時代にかけて、文殊堂境内鎮守として祀られたものと言われている。
時移りて、現代はパワースポットとして人気の場所となり、鳥居に石が乗ると願いが叶うとされ、若いカップルが多く訪れます。
「一声の江に 横たふや ほととぎす」
芭蕉の庵から程遠からぬ江戸墨田川の景をよんだ句です。
芭蕉が天橋立に遊んだ証拠もないのですが、宮津の俳句を楽しむ人々は、芭蕉の塚がないのを残念に思い、この句を選び1767年文殊堂境内に歌碑を建立しました。
広々とした川面を渡るホトトギスの声が、橋立あたりの風景と重なって感じられ、この句の情景に天橋立を重ねたのでしょうか、句の内容に相応しい場所にと、ここに移したのです。
平成十六年十月二十日に当地域を襲った台風二十三号の猛烈な風雨は天橋立の美しい姿を一変させ、二百四十七本の松の命を奪い去っていきました。この「双龍の松」もそのとき命を絶たれた命名松の一本です。
ここにその姿を保存し、惨状を記憶にとどめるとともに、先人達が大切に守ってきた天橋立を子々孫々まで残していくため、また、環境破壊に対する警鐘を込めてこの公園は整備されました。(双龍の松モニュメント案内板より)
日本の文化財保護法により、庭園、橋梁、渓谷、海浜、山岳その他、日本にとって芸術上また鑑賞上価値の高いものを、国が「名勝」として指定しています。その中で特に重要なものの一つとして「天橋立」が「特別名勝」に指定されています。
天橋立は一般車両通行禁止です。 端から端まで約3キロメートルの移動には、徒歩、自転車、遊覧船、モーターボートがありますが、松並木の中の史跡などを見て回るには、丁度良いスピードの自転車が最適です。
天橋立には土産物店や交通会社が運営するレンタサイクルがありますので、自転車を気軽にご利用できます。
レンタサイクルは店によっては乗り捨てが可能なところもありますが、借りた場所に返さなければならないお店もありますので、天橋立の往復を自転車にするか、他の移動手段にするかを考えて借りた方がよいです。
天橋立の南端「文珠」と北端「府中」の間は、天橋立と並行して定期観光船が運航しています。
観光船は丹後海陸交通が運航しており、約30分間隔で文殊地区「天橋立桟橋」と府中地区「一の宮桟橋」の間を片道12分で行き来をします。
観光船からエサを投げるとカモメがたくさんの集まって来るのが人気の一つになっています。
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元伊勢籠神社本殿前には、鎌倉時代に作られたとされる、重要文化財に指定された一対の狛犬が鎮座します。
この狛犬には古くから伝わる話しがあります。
作者の一心で魂の籠った狛犬が魔物となって毎夜 天橋立の松並木に出現し、通行人を驚かせていました。そこで剣豪岩見重太郎がその魔物に一太刀あびせると、狛犬の脚が切れており、それ以来魔物が出現しなくなり、魔除けの狛犬といわれています。
元伊勢籠神社は、伊勢神宮に奉られる天照大神・豊受大神が、この地から伊勢に移されたという故事から、元伊勢と呼ばれています。
社名の由来は、祭神が籠に乗って雪の中に現れたという伝承に基づいて「籠宮(このみや)」とされたとしています。
籠神社の社殿は伊勢神宮と同じ、唯一神明造りです。
文化財も多く、本殿は1845年の造替で京都府指定文化財建造物、宮司家の系図は国宝に指定されています。
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神を祀る社殿の無い時代の人々は、大きい木や大きな岩、島や川などに神々が籠もると考え、それらを崇拝の対象として神祀りを行っていました。眞名井神社境内には縄文時代から人々が住んでいた証である石斧や
搔器など、また弥生時代の祭祀土器破片や勾玉が出土しています。その境内には古代より脈々と受け継がれて来た祭祀場「磐座」があり、ただならぬ神気を漂わせ、多くの人々が訪れるパワースポットとなっています。
眞名井神社は元伊勢籠神社の奥宮で、本殿には豊受大神、天照大神をはじめとする神々が祀られています。
成相寺は西国33箇所巡りの第28番札所として知られ、多くの巡礼者で賑わいます。
古くから身代わり観音の話が伝えられており、お参りすると願いが叶う(なりあう)お寺(成相寺)として有名です。
境内には、悲しい伝説を秘めた「撞かずの鐘」があり、本堂前には左甚五郎作の「眞向の龍」が掲げられていることでも有名です。
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